九州鉄道記念館を見学する

九州鉄道記念館を見学した時の様子

 【2014年7月27日 日曜日】

青春18きっぷ 夏 「2014.7.26~27の乗車報告 Ⅱ 前編」
からの続き。

日豊本線の柳ヶ浦を7:09に発車した3534M快速・門司港行きは定刻通
り8:41に終点の門司港に到着した。門司港に到着したあとは、少し写
真を撮ったあと、徒歩で九州鉄道記念館へ。ここは以前から一度行き
たいと思っていた施設であり、やっとその機会に恵まれたのである。

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 〔 九州鉄道記念館 〕

九州鉄道記念館は簡単に言うと鉄道の博物館である。かつて九州で
活躍した様々な車両を展示しており、2003年8月に開業したとのこと。
入場料は大人300エン。営業時間は9:00~17:00(入場は16:30まで)、
定休日は毎月第2水曜日となっている。定休日には例外があるので
すぐ↓で貼り付けた九州鉄道記念館のホーム頁で確認して下さい。

九州鉄道記念館のホーム頁↓
http://www.k-rhm.jp/

       九州鉄道記念館(出入口)
画像

       九州鉄道記念館の位置

九州鉄道記念館は門司港駅のすぐ近くに位置するが、駅前にあるとい
う訳ではなく、少し離れている。感覚的に門司港駅から徒歩で3分から
5分くらいか・・・(?)。場所は↑の地図の通り門司港駅から見れば北
九州銀行レトロラインの九州鉄道記念館駅よりも向こう側に位置し、
道順は門司港駅を出て右へ…まぁ、とにかく右に進めば分かると思う。
九州鉄道記念館には8:50頃に到着した。

写真↑の出入口を入ってすぐ左側に入場券売り場があり、係員が居る
窓口の他、自動券売機らしき機械が設置されていた。↑の写真は8:54
に撮影したものであり、営業時間前なのでまだシャッターが下りている


写真↑の建物のすぐ脇に、写真↓のEF30・ED76・クハ481の顔面が展
示されており、運転台まで見学が可能とのこと。小生は時間的な関係
で運転台には入っていない。

       EF30、ED76、クハ481の顔       
画像

9:00丁度、シャッターがスッーっと開いて営業開始。

ごく当たり前の事であるが、中に入るには、まず、入場券を買わなけれ
ばならない。入場料は↑で書いた通り大人は300円である。ただ、これ
は正規の料金であり、入場券を購入する際にJR九州のIC乗車券であ
るSUGOCAの他、門司港駅から有効のJRの普通乗車券、JAFの会員
証のいずれかを窓口に居る係員に呈示すると、2割引き、240円になる
のである。小生はJAFの会員証を呈示した。

割引きに関して・・・持参していたメモ帳に「北九州銀行レトロラインの
乗車券を呈示しても2割引きになる」と書き記しているが、この情報は
どこから得たのか全く覚えていない。もちろん、メモに書いているので
現地で得た情報なんだろうが、その情報元がわからない・・・。あと、
当日の日付印が押された青春18きっぷも割引きの対象になるのか?
といった疑問が脳裏に浮かんだが…さぁ、これは無理かも知れない。
たかが60円の割引きであるが、「60円をバカにする奴は60円で号泣
する」と云われるし、2人で入場すれば120円も差が出てくるので重要
な内容であると思う。120円もあればパンが買えるよ。

さて、入場券も買ったし、このブログをみた君たちに九州鉄道記念館に
展示されている車両たちを順に紹介していこうと思う。ただ、小生はあ
まり詳しくないので今回は九州鉄道記念館のホーム頁等の力をお借り
した(決して文章をぱくった訳ではないよ!)。あと、小生の想い出話や
感想も付け加えておきたい。展示されている車両たちは細長い敷地に
縦列停車しており、通路の一部は床面が高くなっているので、(一部の
車両は)駅のホームに停車しているかのような雰囲気を作っている。

■まずは↓の蒸気機関車の9600型。

       9600型59634
画像

9600型は大正時代の代表的な貨物用の蒸気機関車である。全国的に
活躍しただろうし、今でいうと海外でも活躍していたようだ。↑の59634
号機は新潟県と山形県とを結ぶ米坂線から九州に転属してきたとの事
で、遠くから来たのでファンの皆さまから「ごくろうさんよ」と呼ばれてい
たらしい。

■9600型のお隣は同じく蒸気機関車のC59。

       C59-1
画像

C59は本線用に製造された旅客用の蒸気機関車である。九州では「あ
さかぜ」などを牽いていたとの事。詳しいことは分からないが、感覚的
にC57とC62の中間的な存在と言えばいいのかな・・・(?)。この形式
はあまり現存していないらしい。。。

C59の話ではないが・・・数年前、地元の図書館で電車の本を読んでい
る時にお爺さんが話しかけてきて、そのお爺さんは昭和何年頃の話か
は分からないが、「福知山線で流線形のC55を見た」と言っていた。

■C59のお隣は電気機関車のEF10。

       EF10-35
画像

EF10はかつて関門トンネルで活躍していた直流の電気機関車である。
関門区間では九州の鉄道の電化が交流20000Vとして開業する1961年
まで活躍していたようだ。この機関車、色は茶であるがステンレス製と
の事で戦時中に製造されたんだそうな。

■EF10のお隣は同じく電気機関車のED72。

       ED72-1
画像

ED72は九州で活躍した交流の電気機関車である。蒸気暖房の装置を
備えていたとのことで↑の1号機は試作機なんだそうな。小生は直流
電化区間の沿線で生まれ育ったので、あまり馴染みがない機関車であ
る。

■ED72のお隣はディーゼルカー(ガソリンカー)のキハ07。

       キハ07-41
画像

キハ07は戦前に製造されたガソリンカーである。戦後、1952年にディー
ゼルカーに改造されて1969年まで活躍し、その後、大分県の車庫など
で大切に保存されていたとの事。製造数は分からないが、原型を保っ
ているのは、この1両のみなので貴重な存在であり、適切な表現では
ないかも知れないが、九州鉄道記念館の目玉商品ではないかと思わ
れる。

この車両はクラッチで加速するとの事なので、現役の頃は慣れない人
が運転すればエンストし、お客から「下手くそやの~」と言われたと思う
し、あと、坂道発進で苦労したと思う。「あーバックしてもーたぁ」って感
じ・・・。

           キハ07-41の側面
画像

キハ07-41は車内見学が可能であるが、土足禁止となっているので、
見学する際に出入口でスリッパに履き替えなければならない。

       キハ07の車内を見学する際はスリッパに履き替える
画像

       キハ07-41の車内の様子
画像
画像

車内は背もたれの低い小さなサイズのボックス席が等間隔で並んで
いる。(決して悪口という訳ではないが)小さなサイズなので試しに腰掛
けてみたが、やはり現在の一般的なボックス席よりも狭い・・・。この席
に大人が4人も座れば凄く窮屈だったに違いない。

何を隠そう、実は小生は過去にこのキハ07に乗車しているのである。
あれは2007年の1月、場所はかつて茨城県で走っていたあの「かして
つ」だ。こちらで走っていたキハ07は車体そのものが更新されていたの
で原型とは大きくかけ離れた別形式のような姿であったが・・・まぁ、振
り返れば良い体験・経験をしたのかな・・・と。

「かしてつ」のあの車両は独特なエンジン音を発し、重たそうに…上下
に揺れながら走っていた。良く揺れるので乗客全員の頭が同じタイミン
グで上下していたのだが、何かその光景が面白く感じた。小生の頭も
同じように上下していたのかな・・・。2007年の1月といえば「かしてつ」
が廃止されるほんの数か月前である。その為か、葬式鉄と思われるお
客が多く、一部の列車は『こんなに人が多いんやったら廃止せんでも
ええのに…』と思うくらい混んでいた。

■キハ07のお隣は特急型の485系(クハ481)。

       クハ481-603
画像

485系(クハ481)は国鉄の特急型の代表的な車両であり、四国を除く北
海道から九州までの電化区間で幅広く活躍した(している)。クハ481-6
03は元クロ481とのことで、1983年に東北地方から九州に転属、普通車
に改造され1997年頃まで活躍していたようだ。詳しいことは分からない
が、クロだった頃は主に「ひばり」や「あいづ」に使用されていたものと
思われる。※写真↑のボンネットのタイプは北海道では走っておらず、
青森県から南で走っていた。

       クハ481-603車内の様子
画像

クハ481-603も車内見学が可能となっている。

この車両が元クロ481であるという事実を知ったのは、実はこのブログ
を書いている時であり、何故か現地で気付く事はなかったのである。
↑の写真では分かりにくいが、サロ481みたいに窓の幅が狭く感じる。
座席は↑の写真の通り青モケット+簡易リクライニングであるが、引退
する1997年頃までこの状態を維持していたという事なのか・・・。九州に
は他に181系から改造されたクハ481が走っていたが、あの車両はどこ
へ行ってしまったんだろうか。元181系のクハ481は床面が低く同じボン
ネット型↑のクハ481とはまた違った顔付きをしていた。

小生は過去に485系に何度か乗車しているが、特急列車として乗車し
た回数よりも、「快速ムーンライトえちご」として乗車した回数の方がは
るかに・・・何倍も多い。写真↑のボンネットの車両を連結した編成に
乗車した回数は「上り急行能登」でしかも一回きり、でもあれは正式に
は489系だ。

■485系のお隣は同じく特急型の583系(クハネ581)。

       クハネ581-8
画像

583系(クハネ581)も485系とともに国鉄の特急型の代表的な車両であ
り、夜は寝台特急として、さらに昼間は一般的な特急として四国と北海
道を除いた全国の幹線の電化区間で幅広く活躍していた(している)。
クハネ581-8は1967年か1968年に登場し、1984年に近郊型である715
系に改造され2000年まで活躍していたようだ。それにしても583系(581
系)として過ごした期間と715系として過ごした期間がほぼ同じというの
は、何か、んー、である。それは本人にとって運が良かったのか、それ
とも悪かったのか。

           クハネ581-8の車内の様子
画像

       クハネ581-8の車内の様子
画像

クハネ581-8も車内見学が可能となっている。

クハネ581-8の車内は715系のままと言えばいいのか、わざわざ書くこ
とではないのかも知れないが↑の写真の通り原型ではない。何という
のか・・・この車両を展示するのであれば、JR西から完全なカタチのク
ハネ581を貰えば良かったのに…といった思いと、715系(419系)は58
3系の歴史を語る上では欠かせない存在なので、この方が良い!とい
った思いが小生の脳ミソの中で交錯する・・・。

小生が583系に乗車したのは過去に2回。あれはもう今から15年~約
20年も昔、そう、小生が真の鉄ヲタとして駆け出しの頃・・・真の鉄ヲタ
として歩みだした頃である。列車名は共に「急行きたぐに」であり、乗車
区間は、まず1回目は新潟→大阪で自由席、2回目は糸魚川→大阪で
B寝台の上段である。

記憶が少し曖昧だが・・・自由席に乗車した時は終始、一つのボックス
席に1-2人程度だったが、意外と深夜の金沢や福井での乗車が多か
ったと記憶している。金沢や福井から乗車した人たちは主にデッキで
過ごしていた・・・(?)。あと、B寝台に乗車した時は直ぐに寝てしまい
目が覚めれば京都~新大阪の間を走っていた。一度も目が覚めてい
ないので快適な眠りだったのは確かだが、何かあっけなかった・・・。

一方、小生は18きっぱーなので近郊型に改造された419系の方は過
去に何度か乗車する機会に恵まれた。因みに419系は715系と共に既
に全廃されており、最後に乗車したのは2010年の年末である。その時
の様子は↓。

青春18きっぷ 冬 「2010.12.18~19の乗車報告 Ⅱ 前編」

■583系のお隣はブルートレイン・特急型の14系寝台車。

       14系寝台車・スハネフ14-11。
画像

14系寝台車は1971年に登場した寝台特急用の車両であり、四国を除
く北海道から九州まで幅広く活躍した。登場当初のB寝台は3段式だっ
たが、寝台幅が20系の52cmから583系の中段・上段と同じく70cmに拡
大されたのが特徴。ただ、意外にも登場当初は「急行瀬戸」に使われ
ていたとの事で急行でデビューしたのである。スハネフ14-11は1972年
に登場し、主に東京~九州の間を結ぶ「さくら」や「みずほ」に使用され
ていたのかな…うん、1982年に3段寝台から2段寝台に改造され、2010
年まで活躍していたようだ。

           スハネフ14-11の車内の様子
画像

スハネフ14-11も車内見学が可能となってる。

↑の写真。寝台のモケットの柄はいかにもJR九州といったデザイン。

このテの車両は現在、青森と札幌との間を走る「急行はまなす」で最後
の活躍を見せている。それにしても最後まで残ったブルートレインがこ
の「はまなす」とは・・・ここ数年で何となくそうなるのかな、と思っていた
が、10年前なら想像もしてなかった。

小生はこの数年でかなり貧しくなったので、その関係で寝台車には長
い間乗っていない。これは貧乏で乗れなくなったといった方がいいの
かな・・・。もっとも最近では2006年の7月前半に乗車した長崎行きの
「寝台特急あかつき」であり、今年は2015年なので、あれからもう丸9
年が経過している。

2006年の7月前半に乗車した長崎行きの「あかつき」のことを思い出し
てみたい。列車の始発駅は京都だが小生は大阪から乗り込んだ。編
成の前よりに熊本行きの「なは」を併結していたので、「なはつき」と言
えばいいのかも知れない。あと、EF66の次は軌道検測のマヤ34といっ
た珍しい姿だった。因みに小生は指定席往復割引きっぷを所持し、喫
煙解放ハネに乗車、寝台は下段である。この切符、、、個室寝台は利
用できなかったのである。

列車は順調に走っており、車内ではベテランぽい車掌が肉声で姫路城
の案内をするなりして、実にまったりした空気が流れていた。多分、小
生はその時、ビールを飲みながらピーナツを食っていたんだろう。そん
な「あかつき」であったが、岡山の少し手前、駅ではないところで何故か
スルスルスル~っとした感じで停車・・・。何?何?と思っていると、ほど
なくして車内放送で人身事故が発生したと知る。

停車して何分経過したのか、かなり経過していたと思うが、ふと窓の外
に視線を向けると、車掌が車外に居ることに気付いた。そして近くに消
防車と思われる緊急自動車が・・・そう、当該だったのである。そして何
と小生が乗車していた車両の横辺りに白い布のようなものが掛けられ
た物体と、その傍らに白いスニーカーが一つ、ぽつんと転がっていた
のである・・・(!)。白い布のようなものは寝台のシーツで、その中にあ
ったものは、もしかして仏さん・・・(!?)。んー、とりあえず仏さんでは
ないという事にしておこう。

列車は現場で50分くらい停車。確か、例の白い布が掛けられた物体が
車体の近くに置かれたまま発車したと記憶している。岡山も50分くらい
遅れて発車・・・。あと、福山か三原辺りで車内を一巡りしてみた。金曜
の夜であったが、車内は閑散としており、「あかつき編成」の場合、小生
が乗車していた喫煙解放ハネのお客は計6人ほど。禁煙解放ハネの方
は下段寝台はほぼ埋まっていたものの、それは団体さんだった気がし
たし、レガートシートに至ってはたったの2人、人気が高いであろう個室
寝台もいくらか空きが見られた。「なは編成」もほぼ同じく…であり、車
内はちょっと気の毒と思えるほど閑散としていたのである。

列車は深夜の山陽路を快走し、遅れは下関で5分ほど回復したが、九
州に入ると、やはり現地の定期列車との兼ね合いがあるだろうし、あ
と、長崎本線には単線区間が存在するためか、行き違いにより遅れが
拡大。列車は終点の長崎に1時間50分も遅れて到着した。ついでに・・
・途中の鳥栖で「特急かもめ」への乗り換えが認められたが、小生は別
に急ぐ必要はないので、そのまま乗り通すことにした。

小生の想い出話は今回はここまで!。また機会を見つけて色々と書い
ていきたいと思う。まだ書きたいことが山ほどある。

↑の車両たちを順に見学・観察したあとは本館へ。

       九州鉄道記念館の本館
画像

本館は元、旧九州鉄道の本社として使用されていたとの事で↑の写真
の通り年季が入ったレンガ造りの重厚な建築物である。で…この建物
は1891年(明治24年)に建てられたとの事で今年、2015年で何と124才
である。

本館の中に明治時代の実物の客車が展示されている。

       本館で展示されている明治時代の客車
画像

明治時代の車両は昔すぎるので実感があまり湧いてこない。雑誌やネ
ットでも写真が極めて少ないし。

           明治時代の客車 車内の様子
画像

座席は畳敷きである。もしかして明治の人は履物を脱いでこの上で正
座していたのかも知れない。

本館には他にも資料が沢山あるし、さらに館外にミニ鉄道公園という
施設があるので、もっと見学・観察したいところであるが、時間的な関
係で早くも9:25すぎに九州鉄道記念館をあとにすることにした。

何故、九州鉄道記念館をこんなに早く出たのか、それには大きな理由
がある。この後、九州鉄道記念館駅を10:00丁度に発車する北九州銀
行レトロラインに乗車するといった予定を立てていたのだが、この列車
は定員制である。もし満員になり、次の便に回されてしまうと、この先
の予定が大きく狂うので、早めに駅に行き、お客の数・動向を前もって
知っておきたかったのである
ただ、この日は心配に及ばず余裕たっぷりだった。

続きは↓

北九州銀行レトロライン 潮風号に乗る

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  • 九州鉄道記念館の本館は旧・九州鉄道本社

    Excerpt: 九州鉄道記念館は門司港駅に隣接する鉄道博物館で、門司港レトロで最も古い旧・九州鉄道本社を本館とし、ジオラマは運転シミュレータ、ヘッドマークなどを展示している。屋外には、九州で活躍した車両が静態展示され.. Weblog: ぱふぅ家のホームページ racked: 2016-06-25 12:06